長嶋茂雄のようになりたい!

国民的英雄・長嶋茂雄さんが、3日、亡くなった。89歳だった。これまで、好きな有名人の訃報を聞いても涙を流すことなどなかったが、この日ばかりは違った。子どものころからの憧れの英雄を亡くしたのはこの上なく寂しく、テレビや新聞、ネット配信で報道されるたびに涙が止まらなくなる。

筆者は、子どもの頃から「長嶋茂雄」に憧れ、その人生をずっと追いかけてきた。中学に進学すると同時に野球部に入部、毎日、厳しい練習に明け暮れた。朝4時半に起き、近くの蓬莱山に行き、石段を駆け登ったり駆け降りたりを繰り返した。また、大浜に出て、足をとられながら砂浜を駆け抜けた。どんなに苦しくても、やがては、かつて甲子園を沸かせた新宮高校野球部に入り文字通り甲子園を目指すつもりでいた。

しかし、そんな毎日は、突然、終わりを告げた。入部半年後、全部員の一斉身体検査があった。筆者は腎臓病と診断され強制的に退部させられた。実は同時に退部となった生徒は自分を含めて合計9人いた。全員が腎臓病だった。練習がいかに厳しいものであったかを物語っている。症状はネフローゼを引き起こし、尿に蛋白がおり、顔やスネなどにむくみが出るというものだった。この間やったことと言えば、まだ球拾いが主でバッティングや守備練習もしていなかった。かくして甲子園への夢はたった半年で消えてしまった。

甲子園への夢は破れても、長嶋さんへの憧れは消えることなく続いた。全国民に愛された英雄には秘話がいくつもあった。元報知新聞の記者で後に歴史作家となった新宮正春さんは、長嶋番記者を務めていた。新宮(瀬古)正春さんは、筆者の高校の先輩で長嶋さんについての裏話をたくさんしてくれた。聞けば聞くほど面白く、また楽しい話ばかりで、後には憧れに加えて人間・長嶋茂雄の魅力にとりつかれることになった。

読者のみなさんにも、人間・長嶋茂雄の真実の姿を知っていただきたく、爆笑エピソード、恋愛秘話、創作クイズなどで詳しく紹介しています。

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